便りのないのが良い便り。
世間ではよくそんなふうに言われるけれど、全く音沙汰がないというのも、それはそれで不安になってしまう。
それぞれの職業柄、世界中を飛び回ることも多くて、相手の現在地もわからないような日々が続く。そうなると、無事に生きているかどうかくらいは、定期的に確認しておきたくなるものだ。
「……あ、また届いてる」
ポストに溜まった請求書や新聞に紛れて、トリコロールカラーで縁取られた薄い封筒がのぞく。消印がHAMAのものなので、今回は寮から送ってきたらしい。懐かしい匂いがしないだろうかと鼻を近づけてはみたけれど、もちろん遠い故郷の潮風の残り香があるはずもなくて、ただ紙とインクの匂いがするだけだった。
旅先から写真を送り合う。それが、数年前に兄妹で交わした約束だった。
現地で買った風景写真のポストカードでも素敵だけれど、可能ならば自分が撮ったとっておきの一枚を選ぶこと。父さんほどの腕はないけれど、自分で景色を切り取る瞬間は、いつも新しい宝物を手に入れた気持ちになる。
あまり長々としたメッセージや近況報告は添えないこと。詳しい話を聞かせてというのが、電話をかけたり直接会ったりする口実になるから。
大抵のことは電子媒体で済ませられるこの時代に敢えて選んだ郵便というアナログな手段は、少し不便で、不自由で、だからこそ愛おしい。人と人とを繋ぐための、こういう素直で遠回りなあたたかみが好きだ。……そう、例えばいつかのカセットのような。
そういえば最近は、旅行先の思い出に加えて、寮生活の日常風景のような写真もたくさん送られてくる。キッチンでわいわい何かを作っている様子だとか、窓の結露に誰かが描いた絵だとか。最近はイベントの準備が忙しくて研修が少ないと言っていたから、きっと今回もそうに違いない。
向こうの勤め先の旅行会社が倒産すると聞いた時には心配もしたが、優秀な幼馴染の手を取ってからは、忙しいながらもHAMAを中心に楽しく働いているようでなによりだ。曲者揃いに見える観光区長たちとも、持ち前の行動力とコミュ力でうまくやっているらしい。我が肉親ながら、あれの人を惹きつける力には目を見張るものがある。
ひとりでHAMAに残ると言われた当時はすごく驚いたし、大人になった今でも寂しさが全くないと言えば嘘になる。一緒に行かないかと手を引きたくなる気持ちが一切ないかと問われて否定する自信もない。
だけどそれよりも、自分のやりたいことを全力でやっている姿が眩しくて、血を分けた兄妹としては少しだけ羨ましくもあって。相手の視線を通した景色の美しさを知る度に、自分もかくありたいと願うばかりだ。
今までの写真を見返していたら、なんだか急に会いたくなってしまった。たまには、サプライズで会いに行ってみようか。
鞄いっぱいのお土産と一緒に、録りためたカセットを持っていこう。くだらない話をたくさんして、会えなかった間の沈黙を思い出の景色で埋め尽くして。
そうしたらまた、それぞれの旅に出よう。
次に出会う新しい景色は、きっとまた良い便りになるから。