シャンプー

修学旅行のちょっと後。



「葉月くんは、猫を吸ったことってある?」
「猫を吸うって何だ?」

 体育館裏の猫たちと出会って数ヶ月。昼休みには葉月くんと一緒にここへ遊びにくるというのが、いつの間にやらすっかり習慣になっていた。
 はじめはよそよそしかった猫たちとも仲良くなって、ごはんがなくても擦り寄ってきてくれるようになって。撫でさせてもらうたび、ふわふわの毛並みに顔を埋めたくなる衝動が募っていく。

 猫吸いっていうのはね、と説明しても、葉月くんはいまいちピンときていないようだった。猫好きの人はみんなするのかと思っていたけれど、葉月くんは違うらしい。お家で猫を飼っているわけではないから、かな。

 葉月くんはしばらく考え込んだあと、ちょっと眉を下げて、首を緩く振った。

「……野良猫にやるのは、やめたほうがいいと思う」
「そっかぁ」

 確かに、どんなにかわいくたって、きっとノミやら何やらがたくさんついているもんね。仕方ないか。

 膝の上で丸くなっていた子猫が、ぴょんと飛び降りて草むらへ帰っていく。すこしだけ寂しくて落ち込んでいたら、葉月くんが静かに身を寄せてきた。

「? どうしたの?」

 普段よりぐっと縮まった距離に、少しだけ心臓が跳ねる。一緒にお昼寝する日もあるけれど、体温がわかるほど近づくことは滅多にないから。

 私はこんなにドキドキしているのに、葉月くんはそんなことお構いなしの涼しい顔で、肩にこてんと頭を凭れてきた。

 すん、と空気を吸う音がする。

 ……え、吸う音?

 髪がくしゃりと首を擽って、少しだけくすぐったい。
 猫吸いの要領で私を吸われている、気がする。驚きを通り越して冷静になってしまって、葉月くんのほうが猫っぽいのに、なんて場違いなことを思った。

「やっぱり、いいにおいがする」
「は、恥ずかしいからあんまり嗅がないで……」

 待って。やっぱりって、何。
 そういえば、修学旅行のときにも言われたっけ。押入れの中の暗闇でも、シャンプーの香りだけで私だってわかったとかなんとか。
 そんなに珍しいシャンプー使ってるわけじゃないんだけどなあ、とぼやいてみたけれど、葉月くんはゆるく首を振った。

「わかるよ。俺、好きだ、これ」
「そ、そう?」

 葉月くんは存外パーソナルスペースが狭い。
 出会った頃はそこそこ距離を取られていたような気がするけれど、隣に座って嫌がられたことはないし、最近では葉月くんのほうから手を繋いでくれたりもする。心を許してもらえるようになった感じがして嬉しいのだけれど、もしかして、いつもシャンプーの匂いがするなと思われていたんだろうか。

 でも、そっか。
 好きなんだ、この匂い。

 そんなことを言われてしまったら。

「……なんか眠くなってきた」
「寝てもいいよ。予鈴の前に起こしてあげる」

 この先一生、他のシャンプーは使えないかもしれない。
 私の肩に凭れたまま眠ってしまった葉月くんの頭を撫でながら、そんなことを思った。