ホワイトデー
「これ、先月のお返し」
ことりとテーブルに置かれたのは、小ぶりなチーズケーキだった。
今日のデートは部屋へ来てほしいと言われて、請われるままに訪れた珊瑚礁。何年も空き家にしておくのもよくないだろうからと、ときどきは出入りすしようとふたりで決めたけれど、その機会は存外あっさりと訪れたというわけだ。
瑛くんは慣れた手つきでコーヒーの用意を終えると、向かいの席に腰を下ろした。
数ヶ月ぶりに見た、瑛くんが作ったケーキ。食べさせてもらえるなんて嬉しくないわけがないけれど、これが「お返し」だというのなら、このまま受け取るわけにはいかない。
「私、今年は何もあげてないよ?」
だって瑛くんいなかったもんね、とは流石に言えないし、言わない。別に彼を責めたいわけでも、謝ってほしいわけでもないから。彼がひとりでたくさん迷って考えた末に私を探しにきてくれた、それが私たちの全てだった。
けれども彼はきっと負い目を感じていて、だからほら、視線が逃げていく。
「……バレンタインの夜、おまえが珊瑚礁を覗きに来たって、じいちゃんから聞いた」
「……うん」
「探しにきてくれたんだよな、ごめん」
会えないとわかっていても、彼のためにと作ってしまったチョコレートを、他の誰かに渡して消費する気にはなれなくて。マスターから渡してもらえないかと期待して会いに行ってみたけれど、結局、海を眺めながら全部ひとりで飲み込んだ。
「今更ほしいって言われても、あげられないよ。わたしが全部食べちゃったから」
「……うん」
「でも、あげてないもののお返しももらえない」
「…………っ」
瑛くんは何かを言おうとして、けれども口元をもにょもにょ迷わせたあと、結局口を閉じてしまった。ああ、そんなふうに傷ついてほしいわけじゃないのに。
「だからね、瑛くん」
立ち上がって、テーブルの反対側へ回り込む。
顔を上げた彼の瞳は、困惑に少し揺らいでいた。視界を覆い隠すみたいに覗き込めば、当然そこには私の姿しか映らなくて、気分がふんわり上を向く。私はそのまま、触れるだけのキスを落とした。
「え、」
「チョコの代わりにこれで許してくれる?」
「〜〜〜っずるいよ、おまえ……」
どうやらお気に召したらしい。
恨めしそうにこちらを見てくる彼の、ほんのり染まった耳の先を眺めながら、私はチーズケーキを堪能すべくフォークを手に取った。