同じ寮で暮らしているといっても、いつも七人で一緒にいられるわけではない。駆け出しの頃から難しいことではあったが、グループの知名度も人気も広まり個人の仕事も増えたいま、全員の休日が揃うことはほとんどなくなってしまった。
それでも、午前中のオフが重なって、誰もなかなか布団から出てこない、そんな朝がときどき訪れる。朝食の準備をする音も、部屋に篭ったまま何か作業をしているような気配も、慌てて外出の用意をするドタバタ劇もない。陸は賑やかな寮生活が大好きだけれど、そんな静かな朝も、同じくらい好きだった。
まだ薄暗いうちに布団を抜け出して、もこもこの靴下とストールを忘れずに羽織る。もうじき朝の冷え込みも緩やかになる季節だけれど、まだまだ気は抜けない。本当はマフラーも巻いておけと言われそうだが、窓を開けるつもりはないし、あたたかいものを飲むのだから許されるだろう。
人気のないキッチンで薬缶を火にかけ、ティーバッグを用意する。戸棚には沢山のフレーバーが並んでいるけれど、新曲のリリースに合わせてマネージャーが買ってきたそれが、最近の陸のお気に入りだった。
夜明け前の空みたいな青をマグカップに閉じ込めて、二人掛けソファの右端に腰を下ろす。
昨夜は誰かが夜更かししていたらしい。机の上に雑誌が散らかっているから環かな、なんて言ったら、彼はまた濡れ衣だと怒るだろうか。適当に開いたページに七人のドラマの記事があって、なんだか嬉しくなった。
「七瀬さん、それ、よく飲んでますね」
陸が振り返るよりも早く、ソファの空いたスペースに声の主が滑り込んできた。ティーカップの中身と同じ色の髪が、視界の端でさらりと揺れる。部屋に入ってくる気配を感じなかったのは、自分がぼんやりしていたせいか、それとも彼の動きが静かすぎるからか。
寝起きの彼を写真に収めるのが陸の日課のようになっているけれど、残念ながら今日は枕元にスマホを置いてきてしまったし、いつもの「かっこよくない一織」はそこにはいなかった。
「これ、夜明けのハーブティーとも呼ぶんだって。この時間に飲むのにぴったりだから」
「喉の粘膜保護の効能があるんでしたっけ。七瀬さんにはちょうどいいんじゃないですか」
「なんか今日の一織、いつもより目覚めいいね」
「昨日早めに寝たので、自然に起きたんですよ」
「あ、だから大和さんのドラマ鑑賞会にいなかったんだ! 部屋で宿題とかお仕事とかしてるんだと思ってた」
「疲れていてそれどころではなかったんですよ。ドラマはあとで観ます。ネタバレしないでくださいね」
とりとめのない会話が心地よくて、一織が来てくれてよかったと、陸はそっと目を細めた。
誰もいないリビングで過ごすのも、一人掛けの椅子には座らないのも、そこに誰かが来てくれることを期待してしまうせいである。静かな朝を好きだと言えるのは、賑やかな昼が待っていると知っているからだ。陸は存外、寂しがり屋だった。
この数センチの距離を詰めてくっついたら、彼はどんな反応をするのだろう。そんな好奇心とほんの少しの下心が疼いて、けれどもふと脳裏に掠めた思考がそれを躊躇わせる。
赤と青は隣り合えない。
橙と黄色と緑は地続きで、水色と紫だって近いところにいるというのに、ふたつの距離はいつだって遠いのだ。色相環でも虹でも、他の色を挟まなければ、赤は青には触れられない。
それでも一織は、躊躇いなく陸の隣に座る。二人が立っているのは、ほとんど正反対な場所なのに。だから陸も、彼に近づくことを許されたくなってしまう。
それとも或いは、この隣り合う境界線を溶かしてしまえたなら、ふたりはひと続きのものになれるのだろうか?
なんとなく視線を自分の手元に落とした陸は、そこに答えを見つけたような気がして、机の上の雑誌を物色している彼の袖を軽く引いた。
「ねえ一織」
「なんですか」
「見て、これ」
透明なカップにしておいて正解だった。窓の外の空と同じ色になったそれを、陸がふたりの目の高さまで掲げてみせる。
「おれたちみたいな色、だね」
一織は虚を突かれたみたいに目をぱちくりさせたあと、あぁ、と納得したような顔になった。
「混ぜたら紫ですからね」
私たちも溶けたらこんな感じなんでしょうか、なんて続けて呟いて、一織ははっとしたように手で口を覆った。実は覚醒しきっていなかったのだろうか、彼がこんなに気の抜けたことを言うのは珍しい。
誤魔化すような咳払いのあと、彼の視線はふよふよと部屋の中をさまよって、結局陸の手の中に戻ってきた。
「レモン、今日は浮かべないんですか」
「……もう少し、この色のままがいい」
そうですかと返された声は優しいのに少し掠れている。気恥ずかしいのかな、なんて勝手に想像して、陸の気持ちはふわりと上昇した。
他の五人が起きてくるまでもう少し、二人きりの時間に浸っても許されるだろうか。開いていた数センチを詰めてみれば、彼は一瞬だけ硬直したけれど、すぐに脱力して肩を貸してくれる。仕方ないですね、と呆れたように言うその口許が、本当は緩んでいると陸は知っていた。
熱めに淹れたマロウブルー。
赤と青の境界線はきっと、夜明けの色をしている。