朝から集中して液晶画面に向き合っていたせいで、腹の虫が鳴くまで昼時になっていることに気づかなかった。休憩にしようと、区切りのいいところでパソコンの電源を落とす。
ぐぐぐっと伸びをすれば、肩がごりっと嫌な音を立てた。連日の内勤で、身体が全体的に凝り固まっている気がする。
席を立とうとしたタイミングで、デスク上に放っていたスマホが軽快なメロディを奏で始めた。発信者は『五十竹あく太』——平日のこの時間は学校にいるはずだが、メッセージでなく電話をかけてくるとは、緊急の連絡だろうか。
「はい、浜咲です」
『あっ先生! 今、時間大丈夫?』
いつも通り元気そうでよろしい。
焦ったような声でもないので、緊急事態ということはなさそうだ。ということは、電話にしたのは文字を打つのが面倒だったとかそういう理由なのだろう。
「今から休憩にするところだったから大丈夫だよ。何かあった?」
『先生に渡さなきゃいけないものがあったの、忘れててさぁ』
「渡さなきゃいけないもの?」
『そう! 放課後帰ってからだとまた忘れちゃうと思うから、電話しちゃった』
今日中に渡さなきゃいけないから、と言われて思い当たるものが一つある。
「それって、カセットテープのこと?」
『そう! ……って、何で先生が知ってるの?』
「連日班長さんたちが持ってきてくれたからね。さすがにわかるよ」
『それなら話が早いや』
こちらの勘付きが彼らの計画を台無しにはしていないようで、ひとまず安心した。この状況で何も気づかないほうが特異だろうから、何らかの企てが動いていると気づかれることは、最初から織り込み済みなのだろう。
しかしながら、続いた言葉に一気に不安を煽られる。
『そのカセット、俺の机の上に置いてあるんだけどぉ』
「……それは、」
つまり、
『マスターキーで入っちゃっていいからさ、先生回収しといて!』
……電話をかけてきた時点でそんな予感はしたが、問題しかない。本人の許可があったとしても、主不在の高校生の部屋に大人が入って物を拝借するというのは、字面からアウトである。
「いや、全然よくないって」
『ええー……』
「急ぎじゃないし、帰ってきてから渡してくれればいいよ。五十竹くんが忘れちゃっても、こっちで覚えておくから」
『俺らが寮にいる時にテープ聞かれんのは恥ずかしいからさぁ』
一体どういう理屈なんだか。それを言ったら夜班も夕班も寮にいる間にメッセージを聞かれている。まあ、確かに翌朝はどんな顔でみんなに挨拶すればいいのかわからなかったけれども。
「……同室の二人はなんて?」
『二人とも、先生に入られても問題ないって言ってた!』
「えぇ……」
それでいいのか男子高校生。急な訪問だと、見られたくないものが散らかっていたりするのではないですか。
『あっ七基、ちょうどいいところに!』
『え、何、急に』
向こうも昼休みなのだろうか、ちょうどルームメイトの片方が通りがかったらしい。状況がわからないまま呼び寄せられて困惑する声が聞こえる。
『今先生と電話してんだ。ほら、さっき言ったカセット忘れちゃったってやつ』
『主任と……』
『七基からも先生のこと説得してよ』
『……いや、俺はいいよ……』
『いいからほら、代わって!』
スピーカーが少し遠くなって聞き取りづらかったが、電話を代わるか否かでほんのり揉めているらしい。しばらく同じような応酬を繰り返したあと、電話口に立たされたのは斜木くんだった。
『あー……えっと、七基です、けど』
緊張しているのか、ほんの少しだけ言葉尻が震えている気がする。
そういえば、今まで彼と電話で話すことはあまりなかった。五十竹くんや輝矢くんは結構な頻度で掛けてきてくれるのだが、斜木くんのほうから掛かってきたことはないかもしれない。
「斜木くん、忘れ物と部屋の話、聞いたんだよね?」
『はい、主任に、って……』
「五十竹くんは勝手に入っていいって言うけど、本当に大丈夫? 流石に気が引けるというか、見られたくないものとかあっても困るだろうし」
『や、まあ、見られて困るものとかはしまってあるので大丈夫、ですけど……』
「あんまり大丈夫じゃなさそうだね」
『いや、それは本当に大丈夫なので!』
焦り方があやしいんだよなあなんて、自分が学生だった頃を思い出して微笑ましくなった。彼は曲作りもしているし、書きかけの楽譜なんかはきっと見られたくないだろうと思う。
けれども、彼の本題はそこではなかったらしい。
『そうじゃなくて、カセットがあるの、たぶん共用スペースだと思うんです』
「共用スペース?」
『はい。朝、あく太が主任に渡さなきゃって部屋から持ち出して、テレビの前あたりに置いてました』
『えっまじ?』
少し離れたところから、五十竹くんの声が乱入してくる。ばりばりビニール袋を開けるような音も一緒に聞こえるが、お昼ご飯のパンか何かだろうか。
『まじだよ。さっきも言ったじゃんか』
『うっそ聞き逃したかも! ごめん!』
『まあ、何か夢中で食べてたしね……』
『ってことで先生、共有スペースにあるみたい! 混乱させてごめん!』
さすが同級生というべきか、やりとりのテンポがよくて、聞いていて楽しい。
「いいよ。テレビの前にある昼班のカセットを回収して聴けばいいんだね」
『お願いします!』
「二人とも午後の授業は何?」
『英語と数学です』
こういう話題を彼らに振って、高校生らしさを感じるのが好きだ。青春って眩しいなあなんて、自分にはもう手に入らない輝きへの憧憬である。
「大変だ。中間考査も近いんだっけ? 頑張ってね」
『……はい。主任も、午後の仕事頑張ってください』
『ありがとう、先生!』
じゃあまた夜にね、と言って通話終了ボタンを押す。
普段区長の仕事をしているときは大人びて見えるけれど、さっきの二人は等身大の男子高校生という感じがして、何とも眩しかった。
無事に共用ルームから回収したカセットには予想通り『特別版#02』の文字が入っていた。五十竹くんの希望通り、彼らが帰ってくる前に再生する。
『じゃあ班長のオレから! 五十竹あく太! 先生、いつもありがとう。また映画の感想会しようぜ!』
『衣川季助……です。いつも、絵の感想とか、……ありがとう、ございます』
『斜木七基です。主任、いつも夜遅くまでお疲れさまです。……今作ってる曲が完成したら、また、聴いてください』
『輝矢宗氏だ。主任、いつも忙しい中、こちらを気にかけてくれてありがとう。この前の城巡りの話の続き、楽しみにしている』
『久楽間潮。いつもお疲れさまです。この前俺が作ったチョコこっそり食いましたよね?』
『えっそれオレも食ったわ』
『俺も』
『……俺も』
『はぁ?』
『ちょうどみんなが居合わせたから、一つずつお裾分けしたんだ。うーちゃんのチョコは絶品だからな』
『……まあいーけど』
『ということで、昼班でした〜!』
ちなみにカセットは、テレビの前ではなく、机の下に落ちていた。
週報カセット特別版 #02
昼班 / 主任視点