Day -4
夜班 / 主任視点

 日曜の夜は、少しだけ気が重い。
 この業界に身を置いている以上、週末と休日は必ずしもイコールではないし、むしろ世間の休日が自分たちの稼ぎ時だ。仕事を再開するのが憂鬱だとかそういうわけではない。というか、そもそも好きでやっていることだから、本当はずっと働いていたいと思うこともあるくらいだ。
 それでも毎週懲りずに日曜日との別れを惜しんでしまうのは、ある種の癖みたいなものなんだろうか。学生時代に身に染みついてしまった月曜日へ向けた憂鬱さというのは、そう簡単には拭えない。パブロフの犬というやつだ。
 今日中に済ませるべき仕事はもうとっくに終わらせたし、もう少し詰めておきたかった来週締切の企画書は残業に厳しい幼馴染に取り上げられてしまった。みんなに提出してもらった週報も確認したし、取引先各所との連絡も概ね返信待ち。本日は営業終了、ということである。
 幸い、明日は終日内勤だ。会議も外回りもないから朝はゆっくりできるし、少しくらい夜更かししたって問題ない。今夜は早めにお風呂を済ませて、この前おすすめしてもらった映画でも観よう。ポップコーンの素は一昨日のギズリパーティで使い切ってしまったんだっけ?
 そんなことを考えながら、とりあえずキッチンを覗いてみようと廊下へ続くドアを開けた、のだけれど。
 突然視界へフレームインしてきた青色に、一歩踏み出そうとしていた身体を慌てて引いた。
「凪くん?」
「……びっくりした」
 それはこちらのセリフである。
 彼があまりにもドア前ぎりぎりに立っているものだから、開閉向きが逆だったら勢いよく打撃を喰らわせてしまうところだった。
「こんな時間にどうしたの? 追加のお花?」
 おそらくノックをするつもりだったのであろう、中途半端に掲げられた彼の右手が行き場を失い、ふよふよと宙を彷徨った。気まずそうに視線も揺れて、少し下がった眉がかわいい。
「花はさっきのでたぶん大丈夫。そうじゃなくて、これを主任に」
「自分に?」
「どうぞ」
「どうも……?」
 自分の頭上に疑問符が浮かぶのがわかる。目的がよくわからないまま差し出されたものを受け取って、疑問符は頭の中いっぱいに増殖した。
 紫色のカセットテープ。
 見慣れた夜班用のそれである。
「ええと、今週分の週報はさっき出してもらったよね? 特に不備はなかったと思うけど……」
「あー……うん。これは週報とは別に、ちょっと、ね」
「ね、って言われても……」
 意味ありげに言葉を濁されても、わからないものはわからない。週番号が振られていない上に『特別版#04』なんて書かれているので、確かにいつもの週報を吹き込んだものではないようだけれど。
 何がどう特別版なのか、見当もつかない。しかも、こういった通し番号は大抵一から順に付けられるものだと思うのだけれど、いきなり四とはこれ如何に。
「……詳しくは、まだ内緒」
 秘密、とでも言うみたいに、凪くんは口の前で一本指を立てた。彼は淡々と喋るようでいて、結構お茶目な仕草をする。
「とりあえず、聞いてみて。……できれば、今日中」
「急ぎの案件ってこと?」
「ううん、全く。でも日付は大事」
 頭の中を跳ね回る疑問符は、消えるどころか、さらに増えてしまった気がする。意図を探りたくて凪くんの顔をじっと見つめてみるけれど、やわらかい眼差しで見つめ返されるだけで、さっぱり何もわからない。
 仕方がない、就寝前の優雅な映画鑑賞タイムはお預けである。
「それじゃあ、このあと聴くね」
「うん、ありがとう。でも、あんまり夜更かしはしない程度に……って頼んだオレが言うのも変だけど」
「どちらかというと、夜更かし常習犯なのは凪くんのほうだけどね」
「……気をつけます」
 深夜に彼の部屋の前を通ると、いつも微かにラジオの音が漏れ聞こえるのだ。そうでない日は、夜遅くでも店や仕入れへ出掛けていたり、あてもなくバイクを走らせたりしているらしい。いつ寝ているんだろうと不安になることもあるけれど、自分が眠れぬ夜には彼の起きている気配が心強かったりもするので、あまり強くは言えない。
「じゃあ、一応、おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
 遠ざかる青が廊下の角を曲がって階段の方へと消えるのを見届け、中途半端に開けたままだったドアを静かに閉めた。きちんと内鍵を掛けるのも忘れない。過保護な幼馴染からのお小言は当分ごめんなので。
 それから、愛用のカセットプレーヤーに、さっき受け取ったばかりのそれをセットする。再生ボタンをぐっと押し込めば、モーターの回る音がして、ぐるぐるとテープが動き出した。生音よりもちょっとだけ掠れた響きが心地よい。

『えー……それでは、順番にひとことずつ、』
『何の順番にするんだい?』
『そういえば決めてなかった。ええと……身長?』
『なんでだよ』
『ぼ、僕が最初ですか? ちょっと緊張するかも……』
『ボクのこの新作肉まんでロシアンルーレットとやらをして、当たりを引いた人から喋るというのわ?』
『駄目に決まってんだろ。つーか、録音始める前に決めとけよ』
『ごめん。迂闊だった』
『まあ、わかりやすく時計回りとかでいいんじゃないかな』
『えっと……誰を起点に?』

 ……一体何が始まったんだろう。
 確かに緊急では全くないんだな、ということしかわからない。
 どうやら夜班で集まって録音をしているようだけれど、普段の議事録や週報とは違ってただの雑談のようだ。もっとも、いつもの会議でもこうして頻繁に脱線しているから、いつも通りといわれればそうなのかもしれないけれど。
 謎のお遊びのためにカセットを勝手に使ったなら怒るよ! と心の中の凪くんに話しかけてみるけれど、とはいえあの五人が揃ってくだらぬ悪戯を企むとも思えない。要領は得られぬままに、テープだけが進んでいく。
 それからしばらくごちゃごちゃと会話が飛び交ったのち、こほん、と鳴った咳払いで、何かしら話がまとまったことを知った。今の仰々しい咳払いは、たぶん子タろくんだな。

『でわ、改めて。トップバッターは僕、夜半子タろ! ……主任、いつも遅くまでご苦労。新作をごちそうするから、また試食と実験につきあってほしいのじゃ」
『棗だよ。君にはいろいろと迷惑をかけるね、いつもありがとう。たまには夜更かしして、うちに晩酌しにおいで』
『……白光琉衣。感謝はしてる。過労でぶっ倒れられると面倒だから、その前にちゃんと休めよ』
『糖衣です。主任さん、いつもお疲れさまです! 今度、またご当地スイーツの報告会しましょうね!』
『蜂乃屋凪です。主任、いつも俺たちを支えてくれてありがとう。……花も、受け取ってくれて嬉しい』
『以上、夜班だったのじゃ~』
『今日は早く寝るんだよ』
『おやすみなさい!』

 ええと、もしかしてこれは、労りとかいうやつなんだろうか。
 突然どうしたのだろう。みんなからの感謝の気持ちは、いつも十分すぎるほど受け取っているのに。いつもお世話になっているのは、ありがとうと言いたいのは、こちらのほうだというのに。
 ……とりあえず今日は、早くお風呂に入って、映画は観ずに、ふかふかのお布団で眠ろうか。
 びっくりして、嬉しくて、うっかりするとなんだか泣いてしまいそうなこの気持ちは、静かな夜のせいにしてしまおう。
 月曜日の憂鬱さだって、今なら吹き飛ばせる気がした。


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