Day -3
夕班 / 主任視点
事務仕事というのは、単純作業に見えて想像以上に体力を消耗するものだ。頭を使うし、ずっと座りっぱなしでは体に負担がかかる。体力にはそこそこ自信のあるほうではあるけれど、それでも、長時間の内勤はできれば避けたいところだ。
作業に一区切りついたところで壁の時計を見遣れば、すっかり夕方である。夕食にはまだ少し早くて、けれどもおやつタイムにしてしまうと夕食に響きそうな、ちょっと微妙な時間だ。
気分転換に散歩でもしようかと、パソコンの電源を落とした。海の方まで行って帰ってくれば、ちょうどいい時間になるだろう。
HAMAの海はいつだってきれいだけれど、夕暮れ時のきらめきはいっとう美しい。揺れる水面を眺めていると、それだけで一日の疲れが吹き飛ぶような気すらしてくる。
時間の流れも忘れて手すりに凭れてぼんやりしていると、突然背後から名前を呼ばれて驚く。慌てて振り返れば、そこにはさらさらの金髪がふんわり風に揺れて、その奥の深い緑色と目が合った。
「來人さん?」
「やっぱり主任だったか」
「よくわかりましたね」
「まあ、人を見分けるのは得意なほうだからな」
珍しいこともあるものだ。
同じ寮に住んでいるし、生活圏もそう遠く外れているわけではないのに、各々のプライベートな時間に社員たちと出会うことはそう多くはない。それぞれ観光区長以外の仕事があるから当たり前のことではあるのだけれど、こうして偶然街でエンカウントできると少しびっくりする。
「お仕事の帰りですか?」
「いや、用事があって少し抜けてきただけなんだ。これからまた戻るところで」
「それはお疲れ様ですね」
彼のほうもそこまで急いでいるわけでもないらしいので、しばらく世間話に花を咲かせてみる。昨日読んだ本が面白かったとか、昼食が美味しかったとか、いくつかそんな話題が続いたところで、そういえば彼に聞いてみたいことがあるのだと思い出した。
「このお店なんですけど、來人さんはもう行きましたか? つい最近オープンしたって聞いて気になっているんです」
スマホを取り出して、ブックマークしておいたラーメン屋のサイトを見せる。近頃、ラーメン情報を見聞きしてはメモに残す癖がついてしまった。
正直なところ、ラーメンは好きだけれど、週に何度も通ったり新規開拓に力をいれたりするほどの熱はもっていない。だけど、來人さんとの会話の糸口を増やしたくてラーメンの話題を集めていたら、それがすっかり習慣になってしまって。実際に連れて行ってもらったりもしているおかげで、HAMAのラーメン屋事情には妙に詳しくなってしまった。ついでに言えば、美味しいスイーツの店や所謂映えスポットなんかも同様である。
「ああ、一昨日行ってきたよ」
「どうでした?」
「良かったよ。おすすめは味噌だ」
「! 次の休みに行ってみます!」
彼が美味しいと言うのなら、間違いないだろう。楽しみだ。
そう思って勢いよく宣言すれば、來人さんは、少し困ったような顔で笑う。
「きみ、先々週も似たようなことを言って千弥たちとファストフードの店に行っていなかったか? 俺に言えたことではないが、あまり頻繁だと雪風あたりに怒られそうだ」
「あはは……気をつけます」
ジャンクな外食続きだと知られたら、幼馴染の拗ね具合と同僚のお小言があまりよろしくないことになる予感がする。これだけは絶対に隠し通さなければならない。
來人さんはちらりと腕時計を確認すると、そろそろ行くよ、と踵を返した。まだ仕事があるというのに、かなり長いこと引き止めてしまって悪いことをしたなと思うけれど、それでもすみませんとこちらに言わせる隙を作らないのが彼のスマートさである。
なんて考えていると、何歩か進み始めていたはずの來人さんが戻ってきて、鞄から何かを取り出した。
「これを忘れるところだった。今のうちに渡しておくよ」
はいどうぞ、と夕班のカセットテープを差し出される。オレンジ色のそれを受け取ってしまってから気づく、既視感。
「……週報ですか?」
「いや、違うよ。昨日、凪から似たものを受け取らなかったか?」
もしやと思ってカセットをひっくり返してみれば、A面側に『特別版#03』の文字。昨日から一つ数字が減っている。
「ええと、まあ、はい」
「そういうことだ」
「二人がグルだってことですか?」
「当たらずも遠からずってところだな。共犯者は他にもいるし」
凪くん來人さんと続いたなら、残りの共犯者というのは朝班昼班のリーダーたちだろうか。となれば、数字も班の順番なのだろうと納得がいく。まあ、そうわかったところで、意図は掴めないままなのだけれど。区長たちが自分に向けてメッセージをくれたということ自体はかなり嬉しいので、ひとまず素直に受け取っておくことにする。
「あの、來人さん」
「なんだ?」
「その、ええと、」
口を開いたてみたはいいものの、向こうが中身をはっきり示そうとしないのにありがとうというのも、なんだか変な気がして。
だから代わりに、言い淀んで、迷って、ずっと気にかけていたことを聞いてみる。
「夕焼け、好きですか?」
彼は一瞬目を見張って、彼にしては珍しく、言葉を選ぶように視線を海のほうへ逸らしたけれど。
「……どうかな」
そう言った彼の横顔は、答えを濁したにしては随分と柔らかくて。
何がとはうまく言えないけれど、きっと大丈夫だな、なんて思った。
「それじゃあ今度こそ行くよ」
「はい、また寮で」
夕食のあと、部屋に戻って、貰ったカセットを再生した。
『百目鬼潜だよ。最近トレーニング室の機械が増えたのは、君のおかげらしい。気が効くね。……これからも頼んだよ』
『えー、木ノ内太緒です。いつもお世話になってます。よかったら、今度またゲーム付き合ってください』
『ちぃだよんっ。主任ぴ、いっつもお仕事お疲れさま! また映えスポット探ししようね☆』
『畔川畿成です。マスター、いつもありがとうございます。最近、笑顔の精度が2%ほど上昇したので……今度、マスターにもお見せします』
『北片來人だ。主任、今日もお疲れ様。俺に合わせてラーメンの新規開拓に付き合ってくれるのは嬉しいんだが、あまり度が過ぎて生行に怒られないようにな』
『……チィツァもお前だけには言われたくないだろうね』
『あのね、今度のおもライ、実はなゆーきにお願いして、主任ぴに特等席用意してもらったんだ〜!』
『たまには、舞台の袖からじゃなくて、客席の真ん中から俺たちのこと応援してください』
『都合がつけば、レッスンにも顔を出してくださると嬉しいです』
『きにゃり、この前考えた新しいファンサを主任ぴにも早くお披露目したいんだよね〜』
『……はい。千弥と一緒に、キャワでキュンなポーズを更新したので』
『この前、それは本番まで内緒にして主任をびっくりさせようって言ってなかったか?』
『いいの! サプライズもドキドキだけど、少しでも早くきにゃりのきゃわなとこ見てほしいんだもん』
『はは、待ちきれないみたいだな。ということで、主任、いろいろと期待しておいれくれ』
『以上! 夕班からでした〜』