Day -2
昼班 / 主任視点
朝から集中して液晶画面に向き合っていたせいで、腹の虫が鳴くまで昼時になっていることに気づかなかった。そろそろ休憩にしようと、区切りのいいところでパソコンの電源を落とす。
ぐぐぐっと伸びをすれば、肩がごりっと嫌な音を立てた。連日の内勤で、身体が全体的に凝り固まっている気がする。
席を立とうとしたタイミングで、デスク上に放っていたスマホが軽快なメロディを奏で始めた。発信者は『五十竹あく太』——平日のこの時間はまだ学校にいるはずだけれど、メッセージでなく電話をかけてくるとは、緊急の連絡だろうか。
「はい、浜咲です」
『あっ先生! 今、時間大丈夫?』
いつも通り元気そうでよろしい。
焦ったような声でもないので、緊急事態ということはなさそうだ。ということは、電話にしたのは文字を打つのが面倒だったとかそういう理由なのだろう。
「今から休憩にするところだったから大丈夫だよ。何かあった?」
『オレ、先生に渡さなきゃいけないものがあったの、忘れててさぁ』
「渡さなきゃいけないもの?」
『そう! 放課後帰ってからだとまた忘れるかもしんないから、電話しちゃった』
今日中に渡さなきゃいけないからさぁ、と言われて、思い当たるものがひとつある。
「もしかして、特別版って書かれたカセットテープのこと?」
『そう! ……って、何で先生が知ってんの?』
「凪くんたちが連日持ってきてくれたからね。さすがにわかるよ」
『それなら話が早いや』
こちらの勘付きが彼らの計画を台無しにはしていないようで、ひとまず安心した。この状況で何も気づかないほうが特異だろうから、何らかの企てが動いていると気づかれることは、最初から織り込み済みということなのだろう。
しかしながら、続いた言葉に一気に不安を煽られる。
『そのカセット、俺の机の上に置いてあるんだけどぉ』
「……それは、」
つまり、
『マスターキーで入っちゃっていいからさ、先生回収しといて!』
……電話をかけてきたという時点でそんな予感はしたけれど。問題しかない。本人の許可があったとしても、主不在の高校生の部屋に大人が入って物を拝借するというのは、字面だけでもアウトである。
「いやいや、よくないって」
『ええー……?』
「急ぎじゃないし、帰ってきてから渡してくれればいいよ。あく太くんが忘れちゃっても、こっちで覚えておくから」
『いや、オレらが寮にいる時にテープ聞かれんのは、ちょっと恥ずかしい、かも』
一体どういう理屈なんだか。それを言ったら、夜班も夕班も寮にいる間にメッセージを聞かれているわけなのだけれど、それはいいんだろうか。まあ、練牙くんにも絶対目の前では再生するなとよく言われるし、確かに昨日はどんな顔でみんなに挨拶すればいいのかわからなかったけれども。
「うーん……七基くんと季助くんには確認した?」
『二人とも、問題ないって!』
「えぇ……」
それでいいのか男子高校生。急な訪問だと、うっかり見られたくないものが散らかっていたりするのではないですか。
『あっ七基ィ、ちょうどいいところに!』
『え、何、急に』
向こうも昼休みなのだろうか、ちょうどルームメイトの片方が通りがかったらしい。状況がわからないまま呼び寄せられて困惑する声が聞こえる。
『今先生と電話してんだ。ほら、さっき言ったカセット忘れちゃったってやつ』
『! 主任と……!』
『七基も先生のこと説得してよ』
『……いや、俺は、』
『いいからほら、代わって!』
会話がスピーカーから少し遠くなって聞き取りづらかったけれど、電話を代わるか否かでほんのり揉めているらしい。しばらく同じような応酬を繰り返したあと、電話口に立たされたのは七基くんだった。
『あー……もしもし、えっと、七基です、けど』
緊張しているのか、ほんの少しだけ言葉尻が震えている気がする。
そういえば、今まで彼と電話で話すことはあまりなかった。あく太くんや宗氏くんは結構な頻度で掛けてきてくれるのだけれど、斜木くんのほうから掛かってきたことはないかもしれない。
「七基くんも忘れ物の話、聞いたんだよね?」
『はい、主任に、って……』
「あく太くんは勝手に入っていいって言うけど、本当に大丈夫? さすがに気が引けるというか、いろいろ見られたくないものとかあっても困るだろうし」
『や、まあ、見られて困るものとかはしまってあるので大丈夫、ですけど……』
「……あんまり大丈夫じゃなさそうだね?」
『いや、それは本当に、本当に大丈夫なので!』
焦り方があやしいんだよなあなんて、自分が学生だった頃を思い出して微笑ましくなった。それぞれが日々クリエイティブに作業をしている三人のことだから、例えば作りかけのものなんかはきっと見られたくないだろうと思う。
けれども、彼の本題はそこではなかったようで。
『そうじゃなくて、カセットがあるの、たぶん共用スペースだと思うんです』
「共用スペース?」
『はい。朝、あく太が主任に渡さなきゃって部屋から持ち出して、テレビの前あたりに置いてました』
『えっまじ?』
少し離れたところから、五十竹くんの声が乱入してくる。ばりばりビニール袋を開けるような音も一緒に聞こえるけれど、お昼ごはん用のパンか何かなんだろうか。
『まじだよ。さっき聞かれたときにも言ったじゃんか』
『うっそ、聞き逃したかも〜? ごめん!』
『まあ、キミは喋りながら何か夢中で食べてたしね……』
『ってことで先生、リビングにあるみたい! 混乱させてごめん』
さすが同級生というべきか、やりとりのテンポがよくて、聞いていて楽しい。
「いいよ。テレビの前にある昼班のカセットを回収して、聴けばいいんだね?」
『お願いします』
「午後の授業は何するの?」
『英語と数学です』
『オレんとこは国語〜』
たまにこういう話題を彼らに振って、高校生らしさを感じるのが好きだ。青春って眩しいなあなんて、自分にはもう手に入らない輝きへの憧憬である。
「大変だ。中間考査も近いんだったっけ? 頑張ってね」
『……はい。主任も、午後の仕事頑張ってください』
『ありがとう、先生!』
じゃあまた夜にね、と言って通話終了ボタンを押す。
普段区長の仕事をしているときや何かを夢中で作っているときには大人びて見えたりもするけれど、さっきの二人は等身大の男子高校生という感じがして、何とも眩しかった。
無事に回収したカセットには、予想通り『特別版#02』の文字が入っていた。あく太くんの希望に従って、彼らが帰ってくる前にとさっそく再生する。
『じゃあまずはリーダーのオレから! 五十竹あく太! 先生、いつもありがとう。また映画の感想会しようぜ!』
『衣川季助……です。いつも、絵の感想とか、話、聞いてくれたり……ありがとう、ございます』
『斜木七基です。主任、いつも夜遅くまでお疲れさまです。……今作ってる曲が完成したら、また、聴いてください』
『輝矢宗氏だ。主任、いつも忙しい中でも、僕たちのことを気にかけてくれてありがとう。この前の城巡りの話の続き、楽しみにしている』
『久楽間です。いつも、まあ、お世話になってます。……っていうかそれよりも、この前、俺が作って冷蔵庫に置いてたチョコ、勝手にこっそり食いましたよね?』
『えっそれオレも食ったわ』
『あ、俺も』
『……俺も、だ』
『はぁ? あれ、むーちゃん用に置いといたやつなんですけど?』
『ちょうど皆が居合わせたから、一粒ずつお裾分けしたんだ。うーちゃんのチョコは絶品だからな、独り占めするよりも、自慢したくなってしまって』
『……まあ、むーちゃんがそういうならいーけど』
『手のひら返し早すぎでしょ』
『は? いま何か言いました?』
『け、喧嘩は、よくない……』
『まあまあ。ひとまず一件落着ということで良いのではないだろうか』
『ってことで、昼班でした〜!』
ちなみにカセットは、テレビの前ではなく、机の下に落ちていた。