Kuguri Domeki
窓の外を流れていく灰色の街をぼんやりと眺める。いつもとなんら変わり映えのしない、退屈な景色。刺激がないのはつまらない。
「ねえ添、何か喋って」
「あれ、珍しいこともあるもんですね」
沈黙を愛するタイプかと思ってたんですけど、案外そうでもない感じですか?
こちらにはチラリとも視線を寄越さないまま、彼は口元だけうっすらとした笑みを浮かべた。
その認識は、正しいけれど間違いだよ、添。
僕は確かに喧騒より静寂を求めているけれど、それと同じくらいには、いつも人との対話に飢えている。他人に興味はないけれど、人間という生物そのものの可笑しさは嫌いじゃない。たとえばそう、今だって、きみのその瞳の翳りを暴いてみたいと思っている。
まあでも、わからないのも仕方がないか。自己開示をしない者同士、お互い様だ。僕だって、ハンドルを握るその横顔がどんな感情を内包しているのかなんて、ちっとも知らないしね。
「そもそもオレと潜さんの共通の話題なんてそんなにないでしょ」
「それはキミがワインは嫌だとかいうからじゃない?」
「この前ワイナリー見学のお誘い断ったのちょっと根に持ってます?」
別に、根に持つとかそういうのではないけれどね。酒飲みな彼がワインだけはいつも頑なに拒否するから、何を隠しているのか興味があるだけだ。
窓の外を流れる景色が緩やかに減速したあと、静かに止まった。赤信号。視界を街路樹に阻まれたままでいるのはなんとなく閉塞感があるけれど、だからといってシグナルが切り替わるまでの時間に焦れるのは、それこそ性に合わない。
こちらの内心を知ってか知らずか、運転席の男は「そういえば」と脈絡もなく切り出した。
「この前七基ともドライブしたんですけど」
「……へぇ、」
「そのときに、オレが潜さんとたまに出かけてるのが羨ましいって、七基が」
「…………」
聞かなきゃよかったかな。
添は雑談のセンスが悪いね、なんて軽口を叩く気にもなれない。
だけどまあ、これもまた仕方のないことだと流してしまうべきなんだろう。僕とあの子とあの家との間にあるもののことを、彼はどうやったって知り得ないんだから。
「あの子はまだ子どもだからね。大人の悪い遊びには誘えないよ」
まったく、どうして未だ僕にあれほど懐いていてくれるんだか。僕のことなんてすっかり忘れてしまえたほうが、もしかすると幸せかもしれないのに。
……なんてね。僕が七基ともあの家とも縁を切れないのだって同じことだ。もしもさよならを言い渡されたとしても、七基はきっと泣かないだろうけど、僕のほうはどうかな。この瞼の裏側にも、涙の一粒くらいなら残っているだろうか。
どうやら今度は、添が押し黙る番らしい。何か言いたそうな顔をしているけれど、さて、何がお気に召さなかったのやら。
車内に沈黙を横たえたまま、景色は再び動き出す。
添の運転は卒がなくて滑らかで安心はできるものの、やっぱり少し退屈だ。もっとも、この退屈さが嫌いではないからこそ、こうして乗り合わせることが増えたわけではあるけれど。
「大人って、子どもをいつまでも子ども扱いするのが好きですよね」
「まるで自分はそうじゃないみたいな言い方をするじゃないか。きみの自認は子どもなのかい?」
「まあまだ学生ですし?」
「きみは都合のいい時だけその身分を持ち出すね」
子どもと呼べるようなかわいらしさや素直さなんて、もうとっくに持ち合わせていないだろう。添はもうこちら側だよ。
そう続けてやろうと思ったけれど、添は、そうではないとでも言いたそうな視線を横目でよこした。運転中だろう、ちゃんと前を見なよ。
「まあ、生きてきた年数の話をするなら、確かにオレは昼班の高校生たちを可愛がってやる側ではあるんでしょうけどね。でも、オレはどっちの気持ちもよくわかる立場ですけど、どちらかといえば潜さんよりもあいつらとのほうが近いと思いますよ」
背伸びしたいお年頃の彼らは、かわいいねってミルクを渡されるより、内緒だよってノンアルカクテルを差し出されるほうが喜ぶんですよ。
自分は全部わかっていますよとでも言いたげな彼の声色が鼻について、……くだらない、と一蹴してやれればよかったのに。ほんのわずかに生まれてしまった空白のせいで、その機会は永遠に失われた。言い負かされたとは微塵も思わないけれど、言いくるめるだけの言葉を持ち合わせていないことも、ひとつ確かな事実だった。
やっぱり、いつもと違うことはするものではない。いまこのふたりの間にあるべきものは、雄弁ではなく沈黙だ。
「添」
「なんですか」
「目的地、ドーナツ屋を追加ね」
「……りょーかいです」
仕方ないから、今日はまっすぐ帰ってあげよう。コーヒー一杯分くらいなら、話に付き合ってあげてもいい。
背もたれにぐっと身体を沈めるように息を吐いて、僕は静かに目を閉じた。
(蛇足)
添と潜のペア研修すっっごく好きなんですよね。普段は没干渉だけど時々交差する瞬間がある、くらいのこの距離感が好きです。でも私の潜デッキにはワインと七基のことくらいしか手持ちが存在しなくてですね……本質はすごくいい人で、危険思想犯だとか生粋のサディストだとか書かれているのに、実際にはまっすぐ向けられた好意を無碍にはできないような人間らしさとか、区長ノベルのあれこれとか、かなしくて愛おしいなあと思っています。
ペア研修のタイトルは直訳すれば有害な隣人ですが、普段お互いに静かでほどよい無関心さなのに、それぞれ思うことがあっては余計なおせっかいみたいな先回りをしてくることもある、みたいなことなのかなあと思っています。