Nagi Hachinoya
「ええと、はじめまして……ではないけど。お世話掛を仰せつかった、蜂乃屋凪です。どうぞよろしく」
「こちらこそよろしく……って、なにこれ?」
研修旅行のために数日寮を空けるからと、添さんの育てている観葉植物をしばらく預かることになった。
同じ部屋の可不可や練牙に頼む方が楽なんじゃないかとも思ったけれど、餅は餅屋なら花は花屋ということらしい。なかなか責任重大だ。
彼は、このアグラオネマをすごく大切にしている。うっかり直射日光に晒してしまってものすごく怒られたんだと、正しい世話の方法を聞きにきた練牙が落ち込んでいた。
「添さんもたまに話しかけてるみたいだし、挨拶はちゃんとしておいたほうがいいかと思ったんだけど……変だった?」
「……あれ、見られてたんだ。恥ずかしー」
育てている植物に話しかける人は結構いるし、オレもソニアもたまにやる。野菜にクラシックを聴かせたりするのと同じで、科学的にいい効果もあるらしいから、恥ずかしがらなくていいのにと思う。でも、添さんはそういうのを他人に見られるのは嫌だったかな。あんまり好きじゃなさそう。
「盗み聞きのつもりはなかったんだけど……気を悪くさせたならごめん」
「いや、そんなに気にしてないから大丈夫」
同じところに二十五人住んでたらそりゃ通りすがりに聞こえることだってあるでしょ、ということで、お咎めはなしらしい。よかった。
「添さんの大事な家族、どんな不幸からも守り抜いてみせるから。安心して行ってきてよ。さっき道路の水溜まりに飛び込んだ上で通りがかった車の水飛沫も浴びて泥んこになってきたから、ものすごく悪いことは起こらないと思うし」
「もしかして、昼間に寮の裏で琉衣に頭からホースで水ぶっかけられてたのってそれ?」
「うん。寮に入る前に一旦全部流していけって」
「不幸なんて大袈裟……ってわけでもないんだっけ。まぁ枯れない程度には見といてくれると助かるかな」
「そこは大丈夫。花屋の矜持に賭けても」
「それが大袈裟なんだよなあ」
添さんはそう苦笑いするけれど、例えばもしオレがソニアを添さんに預けることがあるとしたら、同じことを言うと思うよ。人間の形をしていない大切なひとを、ちゃんと大切にできるひとだから。
だけど、ああ、そうだ。
「しておいてほしいこととか、逆にこれはしないでほしいとか、何か気をつけること、ある?」
「植物の扱いは凪の方が確かなんじゃない?」
「信頼してもらってるみたいで大変ありがたいけど。ほら、日光厳禁とか」
「っ、」
植木鉢を抱える添さんの指がぴくりと動いた。
そっと手を伸ばして、その葉に触れてみる。添さんは一瞬鉢を庇うみたいに身体を引こうとしたけれど、すぐになんでもない顔に戻って、オレの方に少しだけ鉢をずいっと差し出してきた。少しマットな手触り。色と形はすごく綺麗。
かまをかけるみたいなことしてごめんと思いつつ、ずっと気になっていたことだから、この機会に確かめておきたくて。
「違ったらごめん。添さんってさ、太陽の光が毒だとか思ってたり、する?」
「あー……」
この反応は、ビンゴ、かな。
練牙から聞いた話やたまに見かけた様子から、もしかしてとは思っていたけれど。一切の日差しも許されないと言わんばかりの徹底した遮光環境での保護は、ちょっと不安になる。アグラオネマ自体の生育についてもそうだけれど、どちらかというと、添さんのほうが。
「直射日光は苦手だとしても、全く日に当てないのもそれはそれでよくなかったりするんだ。レースのカーテン越しに日光浴するくらいが、たぶんちょうどいいんだけど……」
人間も植物も、完全な暗闇で生きていくのはちょっと難しい。どんな街の灯りのあたたかさも、太陽の明るさの代わりにはなり得ない。空の青さを知らないままでは、深い夜空に浮かぶ星の美しさの全てはきっと感じ切れない。
「眩しいのが怖い気持ちは、オレもわかるよ」
「…………」
添さんはいわゆるウェイ系みたいなノリに見えるけれど、どちらかというと静かな夜が似合うんじゃないかなという雰囲気がある。うまく言えないけれど、朝の匂いがしないな、と思うこともあって……それはなんだか、添さんが夜から抜け出すことを恐れているからなんじゃないかと、そんなことを感じさせる。ものすごい偏見だけど。
オレ自身もたまにそういう夜があるから、ちょっとだけ気持ちがわからなくもないと言ったら、傲慢だろうか。必ずやってくる朝に救われる夜もあるけれど、全ての朝が救いとは限らないことを、オレは、添さんは、知っている。
「だから、これは提案なんだけど。試しに、月光浴してみるのはどうかなって」
「月光浴?」
「月の光なら、火傷の心配もないし。まあ生育的に意味があるかというとそうではないんだけど……ちょっと明るいのが大丈夫だって思えたら、カーテン越しの太陽くらいなら平気になるかもしれない。どんな暗闇でもいつかは目が慣れるみたいに、眩しさも少しずつ慣らしていけばそれが普通になる日が来る……かもしれない」
もちろん、どうしても怖かったら無理強いはしないけど、……どうかな。
添さんの表情はみえない。……まずい、余計なお世話、しすぎたかな。
鉢を受け取ろうとゆるく差し出した手が気まずくなって引っ込めようとしたけれど、迷ったその瞬間、その手のひらにずんと重みが乗せられた。
「……オレは、植物に関して、凪のことは全面的に信頼してるよ」
「うん」
「だから……ちょっとだけ、やってみるのも、悪くはない、かな」
「!」
よかった。断られたらどう腹を切るか考え始める前で。
そうと決まれば、早速。
右腕に鉢をしっかり抱えて、空いた手で添さんの手を引く。
「……凪?」
「ついでに、添さんもしよう。月光浴」
「いや、オレは……、……ま、たまにはそういうのもアリか」
窓辺に向かいながら、後ろで添さんが苦笑する声が聞こえる。
そうだよ、添さん。せっかく一緒にいるのに、大事な家族の第一歩を隣で見守らないなんてもったいない。
だって今日は、こんなに綺麗な月夜なんだから。
(蛇足)
添が「彼女」の話をできる相手って貴重だと思うんですが、凪になら自分が長期で様子を見られないときに預けたりもできるんじゃないかな、という話です。太陽の光に怯えなくたっていいんだよ、を添に言ってあげられるのは彼くらいなものだと思います。添って大事なものを大事にするのが下手くそだけど、それすなわち自分を大事にできないということでもあると思うんですよ。かたや最近の凪は大事にすることも大事にされることも上達してきている気がするので、なんかうまいこと共鳴しあってくれませんかね、ここ。