第4章 卒業


 紅葉した葉の絨毯もやがて土に還り、あちこちの霜柱を踏みながら登校する子供たちを見かける季節となった。
 六年生をはじめとする学校関係者は、二ヶ月後に迫った卒業の準備に追われていた。卒業文集の清書にアルバム用の写真撮影、式や歌の練習と、やるべきことは山ほどある。またそれと同時に、制服の採寸など中学校入学に向けた諸々のこともしなければならない。
 そうしている間にも日々は過ぎ、気がつけば訪れた卒業式当日。青い空と桜の蕾が、晴れの日にとてもふさわしい日だった。
 体育館内の寒さに感覚を失った爪先や、同じ姿勢の連続で悲鳴をあげる上半身、眠気を誘う長い長い式辞と闘いながら、卒業生たちは式に臨む。今思えば一瞬だったと、あと三十分ほどで終わる小学校生活を振り返ったみんなは思った。
 式が終わって解散となったあとも、クラスの女子の大半が、兎の様に真っ赤な目をしていた。絶対泣かないと決めていた朔弥も、泣き止まない友人を見て、思わずもらい泣きをしそうだった。
 ふと彼女が隣に立つ昴を見上げると、ちょうど彼と目が合った。眉目秀麗で凛々しい昴には制服姿がよく似合うと、朔弥はそう思った。しばらくの間視線を絡ませたあと、なぜか昴は、朔弥よりも先に、少し決まり悪そうに視線を逸らした。
 昴が何も言わないのを見て、朔弥は彼に話しかけようとした。彼は突然ブレザーの袖を引っ張られて驚いたが、あのね、と朔弥が顔を近づけてきたのを見て内緒話がしたいのだと悟った。どうしたと問えば、彼女は、捨てられた子犬のような表情で囁いた。
「明日なの」
 そう言われるような気は薄々していた。だから昴は、何の話かとそんな質問をするような馬鹿な真似はしなかった。予言かとだけ昴が呟けば、朔弥は唇を噛んで俯いた。
「みんなには言うのか」
 彼がそう尋ねれば、少女は小さく頷いた。傷つけてしまうから黙って行くとは、もう言わないのだなと昴は思った。自分だけに打ち明けてくれた昔とは違うことに、彼は少し寂しさを抱いたが、けれどそれはいいことだと思った。ひとりで全てを背負い込むことは、他人を傷つけない為の配慮だが、逆を返せば誰も信じていないことと同じなのだ。
 打ち上げの会場まで連れてってー、と自分を呼ぶ友達の声を聞いた朔弥は、またあとでね、と言って昴の側を離れていった。そのときの彼女に笑顔はぎこちなく、誰が見ても無理をしていると分かるものだった。

 打ち上げとは言っても彼らはまだ小学生であるため、できることと使えるお金はかなり限られている。保護者に頼らなければ、会場を取るのも大変だ。そこで、朔弥が打開策として提案したのが、月影家の別荘だった。
 現在別荘として使われているそこは、かつてかぐや姫たちが暮らしていたという家である。リフォームや耐震工事をしているため安全面での問題は無く、また部屋が広いため、生徒とその保護者程度の人数であれば余裕で入れるはずだ。
 着いたよ、と朔弥が足を止めると、みんなはその敷地の広さに驚いた。かつての日本では当たり前だったのかもしれないが、隙間なく家が建ち並ぶ現代の街には、そこは少しゆったりしすぎていた。
 みんなが部屋に上がると、持ち寄ったお菓子を広げての打ち上げもどきが始まった。友人たちと他愛ない会話をしながらも、昴は朔弥の様子を隣でさりげなく伺っていた。しかし彼女は、特に辛そうな姿を見せることも無く、ほとんど通常運行だった。
 わいわいとレクや雑談などをおこなっていた彼らはふと、五時を過ぎていることに気がついた。普段であればまだ遊んでいてもよい時間だが、冬は暗くなるのが早い。そろそろお開きにしようと、みんなは荷物をまとめ始めた。夕飯の支度をするため、保護者たちは一足先に帰っていった。
 昴と朔弥は、明日が例の予言された日であることを親に伝え、この建物に泊まる許可を貰った。朔弥の母親は帰る直前、オレンジと白の刺繍糸で編まれたミサンガを彼女に手渡した。財布から取り出したところを見ると、いつその日が来てもいいように前から準備していたのかもしれない。
 片付けを終え帰ろうとした同級生たちを、朔弥は数分だけと言って引き止めた。彼らは怪訝そうな表情をしたが、彼女が必死になってものを頼むことは珍しいので、一度荷物を床においてその場に座りこんだ。
 朔弥はみんなのほうを向いて言った。
「みんなは月影月紗の伝説について、授業や私の説明で、かなり正確な情報を聞き知っているよね。だから、きっと分かると思う」
 朔弥は大きくひとつ深呼吸をして、何のことだろうと首を傾げる友人たちに告げた。
「私は明日、この世界を去ります」
 誰かが息を呑む音が聞こえた。あまりに衝撃が大きすぎたのか、誰もなにも言わない。ただじっと朔弥のほうを見て、話の続きを待っていた。目が合うと、昴は頑張れと言うように頷いた。それに勇気づけられた朔弥は、ゆっくりと話し出した。

 月影月紗の子孫として力をもって生まれた以上、私はいつか必ず殺されてしまう。悲しいし怖いし悔しいけれど、それは仕方がないの。全部ただの空想だったって信じたいけれど、でもこの事実は受け入れるしかないわ。
 みんなは知らないかもしれないけれど、月影月紗の驚異的な予知能力は、私にも受け継がれているのよ。九割九分九厘九毛九糸の確率で当たる予言をすることができるの。生まれてからこれまで、月紗と私の予言が外れたことは一度もないわ。
 その私たちの予言には、こう出ているの。「卒業式の翌日、月影朔弥のもとを姫が訪れるだろう。そして、地球の人間は塵となるだろう」って。姫と言うのは、あのかぐや姫のことよ。月紗の子孫である私と、人間を焼き払うためにやってくるんだわ。
 私ね、ずうっと考えていたの。どうしてかぐや姫は月紗を倒そうと思ったのかなって。だって、理由も無く誰かを殺そうとする人なんて、まあいないわけではないけれど、でも滅多に見ないもの。それでね、思ったの。
 かぐや姫は、自分が手にできなかった自由をあっさり掴んだ月紗が羨ましくて、でもそれが地球や人間を穢れだという月の人の感情と混ざって、自分の本当の気持ちが分からなくなってしまったんじゃないかなあって。
 だからね、話せば通じると思うの。きちんと目を見て心で会話すれば、分かってもらえると思うの。それでもどうしようもなかったら、月紗が最後に放ったというあの魔法を使うことにするわ。
 予言ではかぐや姫が勝つことになっているけど、あの魔法は成功率も私の生存率も私に魔力が残る確率もあまりに低いけれど、でも本当は諦めたくない。だって、たとえ失敗に対する成功の割合が十万分の一しかないとしても、ゼロではないのよ。
 だから、かぐや姫に全力でぶつかってくるね。希望のある未来を実現できるように、全人類が塵にならなくてもいいように、私がこの世界の片隅でみんなと一緒に笑っていられるように。
 そんなの無理だって笑う人がいるかもしれない。でも、やってみなくちゃ分からないでしょう? 連翹、という花を知っているかしら。鮮やかなオレンジ色なのだけれど、花言葉は「希望の実現」というのよ。この言葉どおり、私は奇跡を起こしたいの!
 結果の残せぬ鋭意努力に意味は無いと、親に言われたことがあるの。私もそう思う。見ていて、絶対にこの世界を救ってみせるわ。

 私は、嘘を吐かないよ。そう言って彼女は話を締めくくった。力強く言い切った割に、その声は少し震えていた。
 朔弥が話し終わったあとも、みんなはしばらくの間ぼーっとしていた。やはり突然すぎただろうかと朔弥が後悔しかけたとき、ようやく千沙が口を開いた。
「……それが本当だとすれば」
 予言通りなら私たち死ぬってこと? という彼女の呟きに、はっとしたみんなはざわついた。けれどそれは恐怖を覚えたわけではないようで、彼らの話す内容はなぜか、人類滅亡って漫画とかドラマみたい、などといったお気楽思考なものだった。傷つけてしまったかと朔弥は一瞬焦ったのだが、彼らのあまりの能天気さに、思わずギャグ漫画の如くずっこけそうになった。
「あの、怖くないの?」
 心配そうに尋ねた朔弥だったが、彼らはそんなことは全く気にしていないと言わんばかりの笑顔で答えた。
「だって月影が守ってくれるだろ?」
「朔弥が負けるわけないもんね」
 信じているから。それは彼らの、上辺だけを繕ったのではない、心からの言葉だと昴は確心した。彼は泣きそうな顔の朔弥に、よかったなと、口だけを動かして伝えた。それを受け取った彼女の微笑みは、咲き誇るダリアのように華やかだった。